勉強の意義
ブログを開設したのはいいけど、3日坊主どころか、1日坊主になりそうだった。書きたいことはたくさんあるのだけど、どうにも思考がまとまらない。そのうちに、どんどん気負ってしまって、また筆が進まない。
先日、twitter だか、youtubeだかで、林修の「勉強は贅沢なものなのだから、嫌ならやめればいい」という発言を見た。語られた文脈は知らない。
ところで、この意見に対して皆さんどう思われますか。
贅沢って罪な言葉です。
ある人が世の中でいわれる「贅沢」な身であっても、本人には他人には見えない、地獄の苦しみを味わっていたりする。だから、「贅沢」は、自分で定義するものだと思う。そして、この自分で決めた「贅沢」こそが自分の人生を幸せにするものだ。
勉強は贅沢だから、嫌ならやめればいいのではない。
ただただ、勉強が嫌ならやめればいいんだ。「林修が言った贅沢」は関係ない。
それから、もっと大切なのは「勉強」は、学校で机について、ペンと紙をもって学ぶものだけじゃない。世の中の万物が学びになりうるし、学びが人生を豊かにする。
大人として勉強が嫌いな子供に、勉強は贅沢なことなんだからやりたくなきゃやめろと突き放すのではなく、学びで広がる世界の広さを教えるべきじゃないのか。