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パリ留学中、日々のあれこれ

リスボン旅(4)

こんにちは。

5月も終盤、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。只今0時をまわったところで、今しがた出先から帰って、ここ数日溜めていた日記のキャッチアップでもしようかとPCを開いたのですが、このブログが頭をもたげてきたので、リスボン旅の続きでも書きます。

リスボン2日目は、リスボンから約30キロ西のシントラへ。ユーラシア大陸再西端の、ロカ岬に行くことがこの度の目的だったのだけれど、その途中にあるシントラという町がユネスコ世界遺産だということで、まずはここへ向かう。

リスボンからシントラまで電車で30分くらい。電車はどんどん郊外へ向かう。車内で、突如歌いながら踊り出す人たち。ラテンだなあと、ぼんやり思う。シントラ駅から、さらに観光バスを乗り継いで、まずはペーナ宮殿へ。シントラ一帯は宮殿群と城壁などの観光地が点在していて、全部回るとなると余裕で丸一日かかるので、午前中に移動すべし。私の場合は、あくまで目的地はロカ岬で、シントラは冷やかし程度に寄ったので、昼過ぎに到着したが、オフシーズンにもかかわらず観光客でごった返しており、入場まで長蛇の列。前日のオンラインチケット購入はマスト。

ということで、ペーナ宮殿。

もともと修道院だったものを、1836年にフェルナンド二世が夏の離宮として建てなおしたもの。様々な建築様式の混合(ゴシックリヴァイヴァル様式、ネオ・マヌエル様式、ネオ・イスラム様式、ネオ・ルネサンス様式など)が特徴的。

くすんだレンガ色と陽気な黄色がパッと目を引く。こんな色の組み合わせ、今まで見たことがあっただろうか。

宮殿自体は、小高い山の山頂にあるので、大西洋を見渡すことができる。海を見るといつだって心が高揚するけれど、今見えてるあそこで地が果てるのだよな、と思うとさらに感慨もひとしお。

ギリシャ神話の海神、トリトン。貝やサンゴがマヌエル様式っぽい。

ロープの結び目っぽい柱と、イスラムのブルーを彷彿とさせるタイル装飾。

こういうブルーの装飾のタイルはリスボン市内でもたくさんあったようにおもうのだけれど、ポルトガルに来てこんなにイスラムの香を感じることになるとは思わなかった。

礼拝スペースのステンドグラス。光がさして、カラフルな影を床に落とす。写真を撮らずにいられない。

宮殿の内部には豪華な調度品が並ぶ。天井には立派なヴォールト。

今写真を見返すと、低い天井とヴォールトの圧迫感もあって、天井が降ってきそう(笑)

リスボン旅行記(3)食べ物編

前回の投稿から時間があいてしまった。

このリスボン旅行も約二か月前のことになってしまったので、記憶が遠のきつつあるし、実は今日もロンドンから帰ったばかりで、実はそっちの感想をブログ記事にしたかったりする。でも、リスボン旅行は私が今までいった旅行の中でもトップ3に入るくらい、心に残ったのでどうにか完結させたい。

今日は、閑話休題リスボンで食したグルメの紹介をしようと思う。

まずはパン。




そういえば日本の「パン」はポルトガル語由来だといわれていますね。

普段、フランスで食べるクロワッサンよりも一回り大きく、中が黄色くてほんのり甘い。表面には粉砂糖がまぶしつけてある。おいしいけど、これはフランスの勝ちかな。

 

お次は、Pastel de Nata(パステルデナタ)ことエッグタルト。どこのパン屋にも必ずおいてあって、ひとつ1€ちょっとで売っていて、おいしいのなんの!

サックサクのパイ生地に、ほんのり品の良い甘さのカスタードクリーム。大きさも小さめでペロっと食べれちゃう手軽さ。一気にファンになってしまい、滞在中いくつか食し、友達にもお土産に購入。

 

Bifanas (ビファーナ) 豚肉のサンドウィッチ。豚肉は、パプリカパウダーや白ワインで煮込まれているらしい。生姜焼きのような見た目だけれど、味は結構さっぱり、というか素朴な味わい。ずっしりしたパンと合わせるのがちょっと新鮮。これ一つで2.5€くらいだったかなあ。安い!

やっぱり海洋国家に来たからにはシーフードでしょ、ということで奮発してカニを注文してしまった。

人気店らしく、空腹を抱えたまま、一時間ほど待たされる。

ロブスターもあったけれど、私はカニ派なのでカニを注文。ぱっくり二つに割られたボディと足!そして味噌!!ヨーロッパでカニ味噌を食べられるとは!塩気の強い味が、ビールとよく合い、最高においしい。でも、こういうものって、一人じゃなくて二人でシェアするものだよね、と思って少し切なくなる。贅沢が過ぎている気がするのと、お酒のアテを一品しか注文できない哀しみ。25€くらいしたかも。

 

 

最後にタコ。これも20€くらいして、一人旅としては贅沢が過ぎるのだが、パリみたいな内陸にいると、こういうシーフードにありつけることはめったにないので、シーフードを見るとトチ狂ってしまうのです。

ゆでタコに、黒オリーブと玉ねぎ、パセリとパプリカパウダーかな。日本のゆでタコみたいに身の引き締まった固さはなくて、柔らかい。オリーブと玉ねぎの辛さがよくタコに合う。これも、絶対一人で食べるものじゃない。

 

次回、リスボン旅、完結させたいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

リスボン旅行記(2)

リスボンについてすぐ、世界遺産ジェロニモ修道院へ。ここは、ヴァスコダガマと航海事業のパトロンであるエンリケ航海王子の偉業を称えた修道院で、香辛料で儲けた莫大な利益をつぎ込んで作られたという。中には、ヴァスゴダガマの棺も安置されている。

2月の平日、オフシーズンにもかかわらず、長蛇の列で入るのに1時間弱は待ったと思う。夏のハイシーズン時が末恐ろしい。ネット予約必須。

なんでも、マヌエル様式の最高傑作、だそう。

マヌエル様式というのは、15-16世紀のポルトガルで流行った、航海の達成を祝福し、王室の権威と富を誇示する建築様式。ゴシック建築ルネサンス建築、イスラム建築の要素を持ち、船や海に関する装飾(地球儀、鎖、ロープの結び目、波、海藻、サンゴetc...) を特徴的とする。(Wiki 参照)

  

正直、マヌエル様式要素は、翌日行ったシントラの宮殿のほうが色濃く感じた。アーチの装飾がとても美しいのと、修道院全体に不思議な爽やかさと開放感が充満している。後で気が付くのだが、リスボン全体が、この空気感なのだ。爽やかさと開放感、活気と機運。

ジェロニモ修道院から、歩いてすぐの「発見のモニュメント」にも行った。

どっかーん!50m以上の高さがあり、かなりの迫力。

こちらは、エンリケ航海王子の没後500年を記念して作られた記念碑。

大航海時代の栄光を見せつけられる。

先頭がエンリケ航海王子、その後ろにヴァスコダガマ、写真右手の、手を合わせてひざまずいているのが我らがフランシスコ・サビエル。ポルトガルが大西洋の向こう側の世界を「発見」したという、期待と興奮が伝わってくるような記念碑だが、この躊躇いのなく発せられる「発見」という言葉に傲慢さが透けて見えて、冷笑的にならざるを得ない。

いやいや、君らが「発見」する前から世界は存在していたからね。

 

 

 

 

 

リスボン旅行記(1)

ブログを始めた理由の一つに、旅の記録を残したい、という目的もある。

ということで、先月中旬に行ったリスボン旅行について書こうと思う。

留学してから、ヨーロッパのいろんな都市を見て回ったけれど、ここはその中でもベスト3に入るほど気に入った。リスボンは、大西洋の注ぐ入り江に面していて街を海からの爽やかな風が吹き抜ける。そして、圧倒的に(パリよりも)明るい太陽、青空。

穏やかで平穏な街の雰囲気、イスラム文化を感じる建築物の数々。特にターコイズブルーの、幾何学模様のタイル。魚も肉もデザートもおいしく、リーズナブル。

観光地として、愛される条件がそろっている上に、個人的には大航海時代にも思いを馳せる旅になった。

 

2泊3日の旅、パリから飛行機で2時間半ひとっとび。(パリーリスボン約1700kmで、東京ー沖縄が1500kmなので、意外と離れている!)

 

到着すると、空港の周りにはヤシの木が並んでいる。さすが地中海性気候…

メトロに乗ると、この時点でパリより全然清潔だということに気が付く。駅名の表示も、きちんと乗客の目につくしかるべきところに、方向とともに示されていて、とっても親切。(パリでは駅構内の案内がとっても適当なのです)この時点で、リスボンという町が好きになる。車内の椅子には、ポルトガルが世界一の生産を誇るコルクが張ってある。

←→の矢印で、電車がどっち方向にいくのかわかるようになってるの素晴らしい。

パリにはこれがない。

 

リスボンは、そんなに大きな町ではないので、中心地エリアは結構徒歩でまわれるものの、地図左側のジェロニモ修道院のあたりは、トラムにのって移動したほうが良い。

中心地エリアには、観光スポットが密集しているが、のんびり歩くと、とても全部はまわりきれない。

 

今回の旅の目的は、ユーラシア大陸再西端にある、ロカ岬に行くことだったので、二泊のうち、一日はここへの移動に使った。

リスボン市内から、ロカ岬(Cabo da Roca)までは電車とバスを乗り継いで二時間くらい。岬の途中にシントラという、また観光スポットの町があるので、ここもまわるとすると、一日はかかる。

 

なんだか既に長くなってきているので、ひとまずここでおしまい!

 

 

 

3.11とあの頃の呪縛

 

3月もあっという間に、中盤に差し掛かって、春もぐんぐん近づいてきました。

昨日は3・11。あれから12年。

 

みなさんは、あの揺れの瞬間、どこにいて何をされていただろうか?

私はあの日、都内の予備校にいて、階段で予備校のスタッフと立ち話をしていた。

一浪して、第一志望に受からなかったところで、そのスタッフに二浪して再チャレンジしてみたら?と説得されていた、まさにそのときに大きな揺れがやってた。彼と急いで階段を駆け下り、予備校のラウンジに避難すると、さらなる揺れがやってきて、それはまさに死を覚悟するほどの強さだった。関東大震災は再来する、とずいぶん言われていたけれど、それはこの地震のことで、今ここで死ぬかもしれない、と確かに思った。

 

あれから12年、予備校で出会った人たちとは誰一人連絡をとっていないけれど、あの日、あの瞬間、階段で話していたスタッフは、私のことを覚えているだろうか、と思う。特定の瞬間の記憶を、これほど多くの人と共有することって、なかなかないが、それほど東日本大震災というのは、多くの人の人生を揺るがす出来事だった。


ここ数日、2011年1~3月放送のフジテレビドラマ、「たいせつなことはすべて君がおしえてくれた」を見ていた。同じ職場に婚約者(戸田恵梨香)がいながら、女子生徒(武井咲)と関係を持ってしまう高校教師(三浦春馬)の話。震災当日もこのドラマの撮影日だったとtwitter でたまたま目にしたが、私より一歳しか歳が変わらない三浦春馬が、弱冠20歳で高校教師役をこなし(このドラマでも彼の演技は素晴らしい)立派な社会人として社会に尊いものを生み出していたのかと考えると、尊敬と畏怖の念でいっぱいになる。

 

前置きが長くなったけれど、3.11のあの日、あの時、19歳の浪人生の自分を思い出すたびに、胸が苦しくなる。それは、当時自分をがんじがらめに縛っていた、受験勉強ができないと、人並みの能力がないという、呪縛だ。あの頃の私は、数学が本当に苦手で、どんなに頑張っても偏差値50が取れなくて、自分の努力が肯定できなくて、自分のことが嫌で嫌で、惨めでたまらなかった。

 

あれから12年が過ぎて、30歳になって、人間には向き不向きがあり、受験勉強は、世界のすべてではなく、世の中で測られる能力には様々なものがあって、世界によって物差しの長さも違うことを知った。数学はとっても苦手で、第一志望には受からなかったけれど、世界の彩りと豊かさを知るのには、出身大学は関係ないことも学んだ。

受験勉強には不向きだったけど、私は語学が好きで継続力もあるため、フランス語をそこそこ話せるようになって、パリで生活するという夢が叶った。年をとることにはそこはかとない、哀しさがいつもあるけれど、年を取って自分を知るほど、10代の苦しみがだんだん遠のいていくことに安心感を覚える。

 

私が、敬愛するミュージカルで、Kinky Boots という作品がある。

自己と他者の受容がテーマの愛に溢れた作品だけれど、最後の大団円のシーンで 歌う曲に”Just be, who you wanna be (なりたい自分になりなさい)”という歌詞がある。

自分をよく知り、なりたい自分になること。

それが、人生で一番大切なことなんじゃないかと思う。

 

 

LIFULL STORIES
by LIFULL STORIES

勉強の意義

ブログを開設したのはいいけど、3日坊主どころか、1日坊主になりそうだった。書きたいことはたくさんあるのだけど、どうにも思考がまとまらない。そのうちに、どんどん気負ってしまって、また筆が進まない。

 

先日、twitter だか、youtubeだかで、林修の「勉強は贅沢なものなのだから、嫌ならやめればいい」という発言を見た。語られた文脈は知らない。

ところで、この意見に対して皆さんどう思われますか。

 

贅沢って罪な言葉です。

ある人が世の中でいわれる「贅沢」な身であっても、本人には他人には見えない、地獄の苦しみを味わっていたりする。だから、「贅沢」は、自分で定義するものだと思う。そして、この自分で決めた「贅沢」こそが自分の人生を幸せにするものだ。

 

勉強は贅沢だから、嫌ならやめればいいのではない。

ただただ、勉強が嫌ならやめればいいんだ。「林修が言った贅沢」は関係ない。

 

それから、もっと大切なのは「勉強」は、学校で机について、ペンと紙をもって学ぶものだけじゃない。世の中の万物が学びになりうるし、学びが人生を豊かにする。

 

 

大人として勉強が嫌いな子供に、勉強は贅沢なことなんだからやりたくなきゃやめろと突き放すのではなく、学びで広がる世界の広さを教えるべきじゃないのか。

 

Hello world

こんにちは。

只今、2023年2月26日、日曜日の昼下がり。2021年夏にフランスに留学して、1年半が経過し、留学生活も残り半年となってきたところです。フランス留学中のさまざまな出来事を記録したいと1年半前から思っていたものの、アイディアを形にするのに今あと一歩、踏み出せずに日々が過ぎていきました。そして本日、ようやく重い腰を上げてこの記事を書いています。物は試し、三日坊主で終わるかもしれないけれど、できれば細く長く続けられたら。不特定多数の、日常では出会うことのない人たちの雑踏の中で、誰かの目に留まる文章(と、写真)を書けたら嬉しいです。

 

2023年の目標の一つにブログを始める、というのがあったので簡易的だけどこれにて目標一つ達成とします。(拍手)